電話営業の話(不動産苦労話2)

前回は飛び込み営業の話でしたが、今回は同じ新卒の時期に経験した電話営業の話をご紹介したいと思います。

私が浜松市や静岡市で新卒1年目をチラシ配りや飛び込み営業で何とかこなしていた時期でした。それは1年目も終わりに近づいた1月の話しです。

その時は静岡市の物件が近隣の住民の方の反対により、塩漬けになったことから急遽浜松市の物件に異動することになりました。年明け1月より浜松市の物件に異動になり、異動から3日後に急に富山市の物件に応援に行って欲しいと辞令を出されました。なんでも3月末までに売り切らないといけない物件がまだ10戸ほど売れ残っており、人海戦術で売り切ろうということだったようです。

ちなみに辞令と同時に言われた言葉はよく覚えています。「会社の金でスタッドレスタイヤを買えてええのー」でした。今こんなことしたらみんな辞めてしまうと思います。ただ時代は氷河期の後期でしたし、コンプライアンスも重視されている時代ではなかったので、新卒1年目で辞めたら転職など出来ないというあきらめに近い気持ちを抱いていたことを覚えています。

そして辞令から4日後に富山に向かいました。そこでは色々あったのですが、(住まいが用意されておらず、しばらくビジネスホテル住まいだったりなどなど・・)今回は電話営業の話なので、そこを中心に書きたいと思います。

配属されたモデルルームはとにかく雰囲気が悪く、他場所の新卒ということで奴隷のような扱いでした。主な業務はおなじみのチラシ配りですが、これが静岡と違うのは1時間で事務所に帰ってホワイトボードを更新し、また配らないといけないということです。車で行くのですが、雪に慣れていない人間はタイヤが滑るので非常に怖い思いをします。これが昼間の作業です。そして夜からは富山市の電話帳をドンと渡され18時から23時近くまで延々とモデルルームへの来場を呼び掛ける電話営業です。

約20年前の事なので、今とは警戒心は違うと思いますが、話しを聞いて頂ける方は多かった印象をもっています。また私もこのチームにあまり協力したくないという思いから、売るためではなくモデルルームへの来場をして頂くだけというつもりで電話をかけていたのが良かったのかもしれません。購入する気はないけど見てみたいという方が多く、そのような方に来て頂き、何とかその日その日を乗り越えていました。(事務所から帰れるのは深夜2時ぐらいです。チームリーダーの上へのアピールで全員深夜1時ぐらいまでいるので、一番下の私が帰れるのは大体深夜2時でした)

そんなこんなで電話帳5冊(5000件ぐらいでしょうか)全てに電話をかけ、40件ぐらいの来場をして頂いたぐらいに1番話が出来そうなチームのNo2に一度来場したお客様のリストに電話をさせて欲しいと頼みこみ、何とか許可されました。最初からそれを狙って電話をかけ続けていたというのもあります。1度来場した方のリストと普通の電話帳では購入意欲は全く違います。

実は何とか1戸売ろうと思っていました。というのも1戸売らないと浜松に戻さないと脅しなのか冗談なのかわからないことを言われていたからです。何とか来場者リストを手に入れ、また電話営業を始めました。そこで1人、値引きをすれば購入してもよいという方を見つけ、チームリーダーに報告したところ、「とりあえずつないどけ」という煮え切らない回答でした。その時、最後の1戸で他のお客様で商談があり、ダメになれば私のお客様に売ろうと思っていたようです。

結果は他のお客様が購入するということになり、全戸完売と言う形になりました。私はそのお客様をつないでおいて言われたの何とか商談続けれるようにしていたのですが、そのような結果になってしまい、後味が悪い最後になってしまいました。(値引き出来ないならしょうがないねで終わったので良かったのですが)

そして完売したことにより私にも浜松に戻るという辞令が出て、なんとか戻ることができました。1戸売らないと戻れないは嘘だったようです。電話営業というよりも富山での営業という話になってしまいましたが、最後に富山で1番つらかった思い出を1つ、土日はモデルルームの外で看板持ちをさせられていましたが、沿道を行く車の方から笑われながらも雪の中、看板を持って立っていました。その時雪がひどくなって、寒いのに気持ちよくなり寝てしまいそうになりました。凍死寸前だったのかもしれません・・