社内飲み会の話し(不動産苦労話3)

サラリーマンをやっていると会社の偉い方や上司との飲み会というのは避けては通れない仕事の1つだと思います。令和の時代はそれを断る方も増えてきたとは思いますが、コンプライアンスという言葉が重視されていなかった平成の時代では若手が飲み会を断ることは会社での死を意味しました。特に営業系の会社では余計にだったと思います。

私が過去に在籍していた不動産会社では年収に占める歩合の部分が大きく、ボーナス額は営業成績で決まっていました。成績が良ければ若手でもかなりの金額を貰えましたが、成績が上がらなければ最悪ボーナス0円もあったので、みんな必死にならざるを得ない環境でした。そしてみんなが何に必死になっていたかと言うと、良い案件を貰えるように社内の飲み会に参加することでした。

特に支店の案件を差配できる支店長との飲み会は必ず参加することが、案件を貰えるかどうかの判断材料になっていたので、私も嫌だと思いながらも必ず参加していました。ただ、この飲み会は21時、22時などに終わるものではなく、終わるのは深夜3時ぐらいでした。高めの居酒屋→クラブ→クラブ→ラーメン、大体こんな展開だっだと思います。

当然深夜3時に終われば電車では帰れません。タクシーに乗るにも帰るのに2万円はかかるところに住んでいたため、若くお金がない時にそれはできませんでした。それに飲み会は週2回はありましたので、タクシーで帰れば破産です。そして次の日も7時30分には会社にいないといけません。今なら漫画喫茶でシャワーも浴びれるみたいですが、当時はそんな設備は無く、どうしていたかというと雑魚寝できるサウナに行っていました。スーパー銭湯の休憩室みたいなところに帰れないサラリーマンが雑魚寝している場所です。

疲れ切ったサラリーマン達がいびきをかきながら何十人も雑魚寝をしている場所で、私もその一員として3時間ぐらいの睡眠を取り、また出社をしていました。そんなサラリーマン生活を送っていましたが、ある時、私の身内に不幸がありました。入院をしていたのは知っていましたが、こんな生活をしていたため、満足にお見舞いにも行けず、大変後悔をしたことがもうこんな生活を辞めようと思った発端です。

成績をあげないとボーナスが貰えないということは、お客様をお金として見ないといけないことだというのも、かなりのストレスがあったので、氷河期で転職先も決まっていないけど辞めようと決めました。亡くなった身内が「本当に嫌なことはしなくてもいいんだよ」と言ってくれていたことも、辞めようとする心を後押ししてくれました。

転職先も決めず辞めて3ヶ月、無事にそこから15年在籍する三菱電機ライフサービスに拾ってもらい、無茶な営業や帰れなくなる飲み会から解放されました。運が良かったと思います。そして今では独立して会社を興し、3期目を迎えます。

なにやら昔は大変だったと言っているおじさんみたいになってしまいましたが、振り返ってみると、本当に嫌なことは辞めた方が人生好転する可能性が高いのではないかと思う話しでした。